7月読書会報告

『沖で待つ』(絲山秋子)担当 池内健

本文◆7月読書会
 日 時: 7月6日(土)17時~19時
 場 所:神奈川県民センター内、会議室
 テーマ:絲山秋子「沖で待つ」(文芸春秋)
 担当者:池内
 
【選んだ理由】
 フェミスト活動をしている人と話す機会があり、男女の対等なつきあいとはどういうものかと考えていたところだったので、絲山秋子の芥川賞受賞作でもある本作を選んだ。絲山は1966年生まれで男女雇用機会均等法(1985年成立)の下での第一世代として大手メーカー(INAX)に総合職で入社。10年ほど働いたところで躁鬱病をわずらい、退職した経験を持つ。この作品のテーマは恋愛関係抜きの男女の友情だが、舞台となる職場の描写には絲山の職業体験が反映されている。
 
【論題】
①小説として優れた点
②男女の対等なつきあいはどうすれば成立・維持できるのか
③その他自由な感想
 
【読書会参加会員の感想】
<小説として優れた点>
・さわやかな読後感。今どき珍しい青春小説。前向きで人間肯定的な信頼関係を描いている。ハードディスクを壊す約束も2人の信頼関係を強調するもの。ディテールは作者の経験に基づいていてリアリティーがあり、安心して読める。私小説には破滅型と調和型があり、この作品は調和型。「沖で待つ」というタイトルには、人はみな、どこかで待ってくれている存在があることを願っていることを反映している
・読みやすい。平明な文章で込み入った状況をうまく説明している。たとえば福岡営業所の更衣室、給湯室の会話で主人公をよそ者と感じさせるシーン、太が妻を「珠恵さん」と呼ぶことで関係性を表すシーン、太のへたくそポエムのノートが見つかるシーンなど。総合職のハードな仕事をリアルで滑稽味のある描写で表現している
・読んで温かい気持ちになった。久しぶりに小説で癒やされた。ですます調が内容にあっている。「太っちゃん」というネーミングが良く、この作品に生きている。太っちゃんの不器用で繊細なところにキュンとした。最後の会話も絶妙なやりとり。主人公と太っちゃんの関係性が表れている
・心にしみる本。全国転勤のある職場で働いていたので「私の話?」と思った。ちょっと切なく、味わい深い読後感。自分も同期と会いたくなって先月佐賀に会いに行った
・余韻を楽しむ作品。恋愛関係にしないため太を早めに結婚させたところがうまい
 
<男女の対等なつきあい>
・太は同僚だから恋愛に発展せず、友情がはぐくまれた。「同期」は男女を超えた関係。共通のバックボーンを持ち、親しいが一線は越えない。アナロジーでいえば異性のいとこのような存在か
・男女が仲良くなると恋愛感情が芽生えやすくなる。この小説の中では同期の信頼しあえる温かい感情が描かれていたが、自分の経験ではなかなか難しい。フェイスブックでつながり、共通の趣味について気楽に言いあえるような距離感が好ましい
・趣味や仕事などテーマや目的があれば男女の友情は成立する
・スポーツジムやキリスト教会の活動では女性の方がアクティブで元気
・趣味の音楽の世界では女性が強い。その方面に強い人が偉そうにしているのは当然のこと
・男性が女性とつきあうと全部恋愛関係になるから、「つきあうな」というのも一つの知恵
・友情、恋愛などと言う前に、つきあいたい人とつきあうのが自然
・日本の男女平等は世界的にみれば遅れている
 
【読書会を終えて】
 人によって様々な読み方があることに改めて刺激を受けました。「読みやすいが軽い」「強がっている」「修飾が少なく学校の作文のよう」「感想らしい感想を持てない」「この人の作品を再び読むことはない」といった否定的な意見も少なからずありました。
 「沖で待つ」は平明な語り口のさわやかな物語ですが、同期入社の男性「太っちゃん」の死を扱っていますから全体を「死」のイメージが覆っています。そもそも若い男女が死後の遺品整理を約束し合うこと自体、異常です。そしてその約束をしたとき、主人公「及川」は自分の方が先に死ぬと思います(後で違うことがわかりますが)。及川が人には言えない、犯罪すれすれの趣味にふけっていることからも、ロールモデルがない中、女性総合職として大きなストレスを抱えていたと思われます。太っちゃんがいなければ、死ぬのは及川だったのではないでしょうか。
 「沖で待つ」というタイトルは、太っちゃんが残したノートに書かれたへたくそポエムの一節。本人の意図とは無関係に、及川は「沖」に死後の世界を感じたようです。そして、死後の世界で待ってくれている存在がいるからこそ、生と向き合う決意が出来たのだと思います。
 
以上

2024/7/7