3月読書会報告

『飛ぶ教室』(エーリッヒ・ケストナー) 担当 上条満

読書会3月度エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』レジメ(案)
2025/02/2
上条満

1. この作品を選んだ理由
 2021年9月に亡くなられた内橋克人氏が生前に「私たちは、今の時代にこそ、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』を読んで、この社会に如何に対処すべきか考える必要がある」という意味のことを言われていたので、読みたいとは思いつつ、そのままになっていました。それが、読書会の担当が回ってくることになったので、ふとこの作品をテーマにするのも良い案かも知れないと思い、まずは『飛ぶ教室』を手に入れて読んでみたところ、非常に感銘を受けたので、是非この作品をテーマにしたいと考えたものです。
 『飛ぶ教室』を読み終わって、内橋克人氏が「今の時代にこそ」読むべきだという言葉の意味がよく解った気がしました。作品の冒頭の方にある「かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かいこい人たちが臆病だったような時代がいくらもあります」という言葉に、まず打ちのめされる思いがしましたし、また、さらに作中のいくつかの個所で感動させられました。それ以降、私にとって、この『飛ぶ教室』は短篇小説の構成を考える上での一つの磁極のような作品になったと言えるかも知れません。対極にあるもう一つの磁極と言うべき作品は梶井基次郎の『檸檬』です。短篇小説の構成を考えるときに、対極にある『飛ぶ教室』の物語性と『檸檬』の叙情性との間に、一定の座標点を定めることを、まず始めに試みたりしてみるのです。
 そこで、今回は短篇小説を書いている方、あるいは書くことに関心を持っている方が、この『飛ぶ教室』を読んでどう感じられたかについて知りたいと思い、今回の課題にさせてもらったものです。

2. 作品の背景(ウィキペディア『ナチス・ドイツの焚書』から抜粋)
 ケストナーは、有名なナチスの焚書事件でやり玉に挙げられた作家の一人。1933年5月10日の夜、ベルリンでは国家主義者の学生たちがトーチを掲げながら、「非ドイツ的魂への抵抗」の行進を行い、オペラ広場に集結した。オベラ広場では、学生たちが押収した25,000冊を上回る「非ドイツ的な」本が燃やされた。
 このとき、ナチスの国民啓蒙・宣伝大臣であったゲッベルスは、広場に結集したナチスの高官、学生、教授、教区牧師、一般市民を前にして、『退廃やモラルの崩壊にはナイン(ノー)、家族や国家における礼儀や道徳にはヤー(イエス)。私は、ハインリヒ・マン、エルンスト・グレーザー、エーリッヒ・ケストナーの書物を焼く』等と演説」した。
 しかし、ナチスはケストナーを苦々しく思っていたものの、拘束などの強硬な手段を取るにはケストナーに人気があり過ぎ、逆に民衆の反発を買う恐れがあったため、ケストナーの著書を焚書にした際も、子供たちに配慮して児童文学だけは見逃した。

3. エーリッヒ・ケストナー(『日本大百科全書』より)
 [1899-1974]ドイツの詩人、小説家、児童文学作家。ドレスデンに生まれ、第一次世界大戦に従軍。戦後、時代を風刺するユーモラスで辛辣な叙事詩集『腰の上の心臓』(1928)によって文学的な出発をした。この作風は、小説の代表作『フェビアン』(1933)にも引き継がれる。しかし彼の名を世界的にしたのは、むしろ『エミールと探偵たち』(1928)をはじめとする児童文学作品であった。ドイツの児童文学はケストナーによって一新紀元を画し、国際的な水準に達することになる。しかし彼の自由主義的な現実暴露、辛辣な風刺はナチスの憎むところとなって、ナチスが政権を獲得した直後の1933年5月に、彼の著書は非ドイツ的という烙印を押されて焚書の厄にあい、児童文学の傑作『飛ぶ教室』(1933)を最後に、ドイツでは出版ができなくなった。亡命しなかったケストナーは、スイスからユーモア小説『雪の中の三人男』(1934)などを刊行して苦難の時代を切り抜け、第二次大戦後は西ドイツのペンクラブ会長となって(1951)活躍しながら、戯曲『独裁者の学校』(1957)、児童文学『ふたりのロッテ』(1949)、『サーカスの小びと』(1963)などを発表して、ふたたび旺盛な創作力を見せた。

4. 担当者が希望する観点
(1)短篇小説を書いている方、あるいは書くことに関心を持っている方におかれては、『飛ぶ教室』の中のどういうところが、短篇小説を書くための参考になると思ったか? あるいは、まったく参考にならなかったか? その理由は?   
(2)児童文学に興味を持たれている方におかれては、この『飛ぶ教室』が児童文学の名作の一つとして世界的に高い評価を得ていることについて、賛同できるか? あるいは、できないか? その理由は?

5. 担当者の感想(『飛ぶ教室』から学んだ点)
(1)プロットを少年たちの世界に仮託することによって、自分の伝えたいメッセージに的確なイメージを与えることができる。
(2)プロットがしっかりしていれば、ストーリーを展開させるのではなく、エピソードでつないでいくことにより、物語を成立させることができる。
(3)作品の目くらましを感動的なエピソードにまで昇華させることにより、伝えたいイメージを暗示できる。

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(4)小説の感動は誠実さから。ケストナー『飛ぶ教室』読書会の結果報告
2025/3/3
上条満
 
 ケストナー『飛ぶ教室』への各自の感想は、作品に対する好悪が比較的はっきりと分かれていたという印象を受けました。
 ケストナーの作品を初めて読んだという人や児童文学には関心を持っていないという人は、文章が読みにくい、表現が冗長である、展開がわざとらしい、予定調和にはリアリティがない、価値観の押しつけがある、というような感想が述べられました。これに対して、ケストナーの作品に親しんできた人や児童文学への関心の高い人は、子供の頃に読んで感動した、以前に一読して傑作だと感じた、文章には奇抜な表現やユーモアもあって面白かった、というような感想が述べられました。
 この作品を読んで創作の上で参考になるものや啓発されるものを感じたという具体的な感想はありませんでした。ただし、児童文学には子供の道しるべとなる大人の存在が必要であるが、この作品には典型的な形で道しるべとなる大人が描かれている、という指摘があり、この指摘には、児童文学に慣れ親しんでいない担当者としては非常に啓発されました。また、この作品には翻訳者が異なる何通りもの本が出ており、翻訳者によって文章がかなり異なるとのことで、最近の本の方がより読み易いという指摘もありました。
 中には、この作品は短篇小説ではないので、短篇小説を書く上での参考にはならないという感想もありましたし、ケストナーの戦時中の反ナチス姿勢に疑義を呈する感想もありましたが、これらの感想は、この作品を読書会のテーマに選んだ担当者にとってはちょっとショックでした。
 全体としては、いろんな感想が述べられて、時間一杯まで活発に発言がなされましたので、読書会としては、非常に盛り上がったと言って良いのではないかと思いました。

2025/3/12