2月読書会報告

『冥途』(内田百閒) 担当 山口愛理

「冥途その他の短編」について  2024年2月1日  担当/山口愛理
 
①   選んだ理由
小説創作講座なるものに参加したことが、かつて二度ほどある。初めて通った講座の初回に、講師が読むべき小説としてまず教材に取り上げたのは内田百閒の『冥途』だった。もう二十年以上も前の話だ。それまでは内田百閒を知らなかったし、古臭い小説なのかと思っていた。が、読んでみるとその不思議な世界に引き込まれた。小説といってもごく短く、文庫本にして五ページほどでしかない掌編だ。私は昔から梶井基次郎も好きだが、梶井が詩的・散文的であるのに対して、百閒はもっと思い切り夢想的・幻想的だ。ほとんど見た夢をそのまま書いたと言ってもいい。残念ながら小説講座のレジュメは失くしてしまったのだが、あの時、講師がなぜ『冥途』を選びあれほど強く推したのかを思い出しつつ、その魅力を考えたい。
 
②   課題
一、『冥途』について、自由に感想を聞かせてください。課題は特にありません。普段よく読む小説との違いなどがあれば教えてください。
二、漱石の『夢十夜』を読んだことのある方はそれとの比較も聞かせてください。(ちなみに『夢十夜』は青空文庫で読めます)
三、『冥途』はとても短いので、同時掲載のその他の短編についてもよろしければ感想を聞かせてください。あなたのお気に入りはどれですか?
ちなみに私のお気に入りは、『山東京伝』『件』『花火』『道連』『豹』『棗の木』などです。
 
➂ 内田百閒年譜(及び黒沢映画『まあだだよ』に見る人間的魅力)
1889年明治22年)5月29日、岡山市に誕生。実家は裕福な造り酒屋
1905年 父死去。実家が倒産し経済的に困窮する。夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み傾倒する。1906年、文芸雑誌『文章世界』に投稿した『乞食』が優等入選する。
1910年 第六高等学校(現:岡山大学)卒業。上京し、東京帝国大学文科大学入学(文学科独逸文学専攻)。翌年、療養中の夏目漱石を見舞い門弟となる。
1912年大正元年)結婚。翌年、師・漱石の著作校正に従事。長男生まれる。
1914年 東京帝国大学独文科卒業。漱石山房芥川龍之介と知り合う。
1916年  陸軍士官学校ドイツ語学教授に任官(陸軍教授高等官八等)。
1917年 『漱石全集』(岩波書店)の校閲に従事。
1920年 法政大学教授(予科独逸語部)に就任。1921年短編小説『冥途』『山東京伝』『花火』などを『新小説』に発表。1922年処女作品集『冥途』を刊行。
1923年 陸軍砲工学校附陸軍教授を命ぜられる。9月1日の関東大震災に罹災。前年刊行の『冥途』の印刷紙型を焼失。
1925年 陸軍士官学校教授を辞任、債権者に追われ家族と別居。法政大学航空研究会会長に就任、航空部長として、学生の操縦による青年日本号訪欧飛行を計画・実現。
1933年(昭和8年) 随筆集『百鬼園随筆』(三笠書房)を刊行、ベストセラーとなる。
1934年 いわゆる「法政騒動」(学内紛争)を機に法政大教授を辞職。
1939年 日本郵船嘱託となる( - 1945年)。同年台湾旅行。百閒の原作による映画『ロッパの頬白先生』(主演:古川ロッパ)を制作・公開。
1942年 日本文学報国会への入会を拒否。
1945年 東京大空襲により東京の自宅焼失。(三年後に東京千代田区に新居完成)
1950年 大阪へ一泊旅行。これをもとに随筆『特別阿房列車』を執筆、以後『阿房列車』としてシリーズ化、1955年まで続き、戦後の代表作となる。
1957年 愛猫「ノラ」が失踪。『ノラや』をはじめとする随筆を執筆。
1959年 小説新潮に『百鬼園随筆』と題した連載を開始。死の前年まで続く。
1967年 日本芸術院会員に推薦されるが固辞[3]。辞退の弁は「イヤダカラ、イヤダ」。
1970年 最後の百鬼園随筆である『猫が口を利いた』発表。老衰が激しくこれが絶筆。
1971年(昭和46年)4月20日、東京の自宅で老衰により死去、享年81歳。1973年には東京中野区金剛寺に句碑「木蓮や塀の外吹く俄風」が建立される。この句碑から、忌日の4月20日を木蓮忌とも言う。
黒澤明監督最後の映画作品まあだだよ』について
還暦を迎えた翌年から、百閒を慕う法政大学の教え子らや主治医・元同僚らを中心メンバーとして、毎年彼の誕生日である5月29日に健康長寿を祝って「摩阿陀会(まあだかい)」という誕生パーティーが開かれていた。摩阿陀会の名は、「百閒先生の還暦はもう祝った。それなのにまだ死なないのか」、即ち「まあだかい」に由来する。黒澤明監督の最後の作品である1993年公開『まあだだよ』は、この時期を映画化したもので、百閒を慕う教え子らの愛が溢れている。なお、他の映画化作品としては鈴木清純監督の1980年公開『ツィゴイネルワイゼン』(原作名『サラサーテの盤』)がある。
④   幻想小説としての百閒の文学(小説創作講座の記憶とともに)
・百閒の小説を読むとき、シュールレアリスムの絵画のようだと思う。イタリアの形而上画家、ジョルジョ・デ・キリコの作品群も頭に浮かぶ。広場、遠い汽車、眠たげな昼下がり、屹立する彫像、不穏な影などが脈絡なく並ぶ幻想的な絵画だ。キリコの絵は画壇よりも先に詩人に評価されたという。静謐で詩情あふれる表現からして、よくわかる気がする。
・さて、百閒の小品を読んで、これなら簡単だ、自分にも書ける、と思った人もいるかもしれない。だが、これが難しい。私はかつて、百閒のある小説の第一稿と完成稿の比較を読んだことがあるが、完成稿は第一稿の六割ほどの短さになっていた。つまりそぎ落としたのだ。そして文体はものすごく滑らかになっていた。もちろん、どこかぎこちない不思議な世界はそのままに残して。こんなに短いものなのに、文章を練る、ということを私は彼の小説から学んだ。手を抜いてはいけないのだと思った。
・かつて通った小説講座で講師が言いたかったのは、先ずこのことではないかと思う。教材の小説コピーが見つかったのだが、『冥途』と『烏』の二作だった。解説のレジュメはもともと無く、余白に「迷ったら削れ」「わかりやすさは書きすぎに繋がる」といった私のメモ書きがあった。彼の作品を読んで感じ取り、考えなさいということだったのだろう。
次のメモ書きは、「具体的なターゲットを描いて書くと書き方が絞り込まれる」というもの。「読者には『自分と同じ感性の人』『自分と違う感性だがわかってくれる人』『自分と全く違う感性の人』の三種類がある。はじめはその三人の読者を獲得することを目指す。だがある段階を過ぎたら、わかる人に向かって絞り込んで書く方が良い」とあった。
だが凡人ではない百閒は、はじめから自分の小説、自分のスタイルを貫いて書いたのだろう。
 
⑤   『冥途』その他の短編について
・「文学の極意は怪談である」という言葉があるが、百閒作『冥途』では暗い土手が分け隔てるこの世とあの世の間(あわい)を描いており、それでいて全く怖さは感じさせない。
主人公は土手の下の淋しい一膳めし屋で、何かを食べている。まわりに他の客は四、五人いるのだがそれもはっきりしない。すべてがおぼろげで会話の意味も不明である。そのうちに障子にとまった飛べない蜂がきっかけで一人の客が話始め、主人公はその声が亡くなった父親だと確信して懐かしさに感極まり「お父様」と呼ぶ。だがその声は相手には届かず、自分を認識してくれることもなく彼らは立ち去ってしまう。暗い土手を行く彼らを見送り、主人公は泣きながら土手を後にして暗い畑の方に帰ってくる。
短いながら深い詩情とノスタルジーが全編をおおっている。「夢」なのか「幻想」なのか、夢をそのまま書いたにしても、すべてが創作にしても、はたまた非現実的なできごとをあたかも夢の中のできごとのように表現したにしても、いずれにしても筆力と完成度が素晴らしく高い。ぼうっとした映像ながら、その切ない情景がはっきりと脳裏に浮かび上がる。
この世とあの世を隔てるものとしては、「土手」と「峠」が百閒の小説にはよく登場する。『冥途』が一番有名だが、それ以外で私が特に好きなのは、『件』と『山東京伝』だ。
・『件』はなぜか顔は人間、体は牛になってしまった主人公が、しなければならない予言もできず、周りを囲む人々の期待にも応えられず、異界とこの世の境界線にいるらしいにもかかわらず、人々がいなくなるとほっとしてのんびりと「死にそうもないような」気になって前足を伸ばす話。そんな化け物のようなものになってしまったにもかかわらず、主人公に悲壮感はあまりない。その状況を、結構受け入れている。張り詰めた不安はあるのだがそれとは裏腹に、何ともユーモアに満ちた作品なのだ。関係があるのか無いのか、百閒は丑年だったらしい。ちなみに、この小説で私が思い浮かべる絵画は、素朴派ルソーの作品群だ。
・『山東京伝』は主人公が山東京伝(江戸時代後期の浮世絵師、戯作者)の弟子に入る話。でもなぜか仕事内容は丸薬を丸めること。一緒に食事をすることになっても山東京伝は食えとも何とも言ってくれない。そのうちに山蟻のような、ものすごく小さな人が侵入してそれを許した主人公は山東京伝の逆鱗に触れてしまう。主人公は泣きながら追い出されるという話。これを読んだ感想は、「なんてシュールなんだろう!」の一言だ。こんなものを書いて出版してしまうのだから、本人も出版社も凄すぎる。さしずめダリの絵画が浮かぶ。
・ちなみに芥川龍之介が百閒押しだったのは、有名な話だ。同じ漱石門下だった芥川は百閒と親しかった。百閒の文壇離れのした自由な作風を誉めたたえ、不幸にも出版直後に罹災した関東大震災を経ての再評価を願って文章化し、「内田百閒氏の作品は多少俳味を交えたれども、その夢幻的なる特色は人後に落つるものにあらず」と絶賛している。
 
⑥   夏目漱石『夢十夜』との比較について
・内田百閒は夏目漱石門下である。なので、当然、『夢十夜』に感化されていたはずだ。『夢十夜』は今回はじめて読んだのだが、第一夜から第三夜までと第五夜は「こんな夢を見た。」で始まる。つまりはじめから夢だと言い切っているのだ。私はそこが一番の違いだと思う。夢なのだから変な世界でも仕方ないだろう、と作者も読者も心構えができている。漱石はさすがに文章も上手いし、いわゆる小説的だ。そして夢を俯瞰的にとらえている。いきなり夢の世界が展開する中では第四夜と七夜、八夜は面白いと思った。
・夢を夢ととらえている漱石に対し、百閒は現実と夢の境が曖昧だ。と同時にあの世とこの世の間(あわい)をごく日常的にシームレスに描いている。こんな形而上(超自然的・理念的)絵画のようなことを文章化できてしまう内田百閒、只者ではないと思った。
 
⑦   番外編/私の文章創作バイブル(お勧めの小説創作読本)
一、『書く人はここで躓く!』 宮原昭夫著(第67回芥川賞作家) 河出出版書房社
二、『こころに効く小説の書き方』 三田誠広著(第77回芥川賞作家) 光文社

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「冥途その他の短編」のまとめ 担当/山口愛理
 
『冥途』その他の短編について
 
「文学の極意は怪談である」という言葉がある。日本では古くは『雨月物語』や『遠野物語』などに端を発するものかと思う。また、「わび」「さび」「幽玄」という日本独自の概念があるが、「幽玄」とは物事の趣が奥深くはかりしれないこと。幽には、かすかなという意味があるが、百閒の作品群はまさしく儚く幽かな世界を描いていて秀逸だと思った。
日本文学の本流からするとこれらの短編(掌編)は枝葉のようなものに過ぎないのかもしれない。だが、他に追随を許さない個性的な作風は群を抜いていると私は思う。
内田百閒の世界は一言で言うと「シュール」。シュールというのは超現実主義(シュールレアリスム)という絵画などの芸術的概念の言葉の略語だが、現実の上を行くという意味。まさしく、理性をぶっとばして、不条理な世界をみごとに幻想的に表現している。
また、会話文にしても削り方が抜群にうまい。説明しないで、表現でわからせることの難しさを簡単にやってのけているように感じる。また、小説には伏線やその回収自体がないのだが、すべてを読者にゆだね、考えさせている。悲しくても、怖くても、どこか呑気でユーモラス。暗い土手が分け隔てるこの世とあの世の間(あわい)を描いており、それでいて全く怖さは感じさせない。また、この世では果たせなかったのであろう父親への深い想いが漂う。それが読後感の良さにもつながっている。
 
皆様のご意見
・会話の削り方がうまい。説明しないでもわからせる。
・小説としての伏線回収はないが、読者に考えさせる。
・もう少し長い方が良い。その方が印象に残る。
・漱石の方が小説として読める。教訓がある。
・何の教訓もないが、それが文学的とも言える。
・夢をもとにしていて、夢判断的でもあり、道徳的葛藤がある。
・作者の人の好さ、素直さが出ている。
・『件』だけは小説らしいと思った。
・これだけ短い文章で作るのが凄い。コンパクトにまとめて書く力が凄い。
・主人公は生にいるのか死にいるのかわからない。その不安定さが冥途である。
・暗さと明るさの対比、光と影の使い方が良い。
・ぼんやりとしたあいまいな書き方、不安定な心理描写が上手い。
・技巧的だけど、読むときに技巧性を感じさせない。
 
以上、皆様、読書会にて貴重なご意見有難うございました。

2025/2/10