12月読書会報告

『みちのくの人形たち』(深沢七郎)担当 大倉れん

2024年12月読書会 深沢七郎『みちのくの人形たち』 担当:大倉れん【1.自由な感想、意見】
・こういう事実が確かにあったと実感できる。人間の究極の生死を扱っている小説
・印象に残る作品
・小説的リアリズムの技法を使った作品
・不可思議なところが少しずつ開けていくような話のもっていきかた、特に最後の展開がうまい。
・情景、心理表現がうまい。互いに旦那様と呼び合うところなど可笑しさもある。
・独創性、オリジナリティーの強い作品で、好き嫌いの分かれる作家ではないか。
・内田百閒(ほど洗練されてはいないが)にどこか似たものを感じる。
・冒頭の「畑の土をみせてくれ」と他人が宅地に入ってくるという設定から戸惑いを感じ、3度読んでも良さがわからなかった。
・山中の村の自然、盲目的に継承されてきた奇習、暮らしのそばの闇といったものがリアリティをもって書かれている。
・山奥の村人の丁寧にお辞儀をする腰の低さから、嬰児を間引いて暮らしをつないできた貧しい村人が、罪を負いつつ誠実に生きていることを感じた。
・深沢作品には、理屈を超えた芸術性がある。文壇の中でも別格の存在。
・旦那様の子、二人の中学生は、生きたこけしとれる。二人の子が、本当に人なのかと思うような怖さがある。バスの中でこけしに見えた人たちは、かつて間引きされた嬰児たちか。
・一読しただけではわからないが、併載の短編も合わせて再読すると、見えてくるもの、わかるものがある。
・人間賛歌ととらえることはできないか。性行為の快楽を崇高な美とし、儚い嬰児は神への生贄として神聖な意味を構成するものとして考えられないか。新生児はけがれていない故に、神にささげられるという考え方がある。
・深い山奥の貧しい寒村にある因習のため、代々罪悪感を抱いて生きる人たちを通して、世の矛盾を突き付けている。高度経済成長―繁栄が生んだ貧困、貧困を地方に押し付けた上の繁栄があることを。
・土を選びひっそり美しく咲くもじずりは間引きされ生きることができなかった人、腕のないみちのく人形は生きている人の罪を象徴しているのだと思う。
・読みづらい文体も、ストーリー展開も計算されたものと思う。
・貧しさの中でひっそりと継承されてきた因習、口承だけでつたわる完成形を成さないストーリー、そこに文学の源流があるように思う。

【2.『楢山節考』(以下『楢』)と比較しての感想が多くありました】
・伝承話、風習などを採取し、そこから想像して物語を構築している。『楢山節考』『みちのくの人形たち』(以下『み』)ともに、その豊かな想像力がつくりあげた作品
・『み』が嬰児=(生の)入口であるのに対し、『楢』が老い=(生の)出口と、とらえることができる。二作は、対の作品に思われる。
・『楢』はラスト親子の別れのシーンが感傷的に情愛をもって書かれているのに対し、『み』にはそういった感傷を一切しりぞけられているのが対照的である。
・『み』は、文体が未熟、未整理な感じ。『楢』のデビューから20年も経ての作品なのに円熟味がない。むしろ『楢』の方が整った文章であるのは、編集側から修正が入ったか……
・やはり『楢』が深沢の最高傑作で、『み』は二番手と思う。

【3.各地の風習、習わし、言い伝えなど】
・秋田県北部 女性の33歳の厄払いには、黒留に袖丸髷の正装でお参りをする。現代は観光化され、県外からも参加者を募るようになっている。
・こけし=子消しととらえ、子に恵まれない、子を失うとして女性に贈るのはよくないという説と、こけし=子を授けしとして縁起のよいものとする説がある。
・ある地域では、外からの来訪者、帰省した者を三つ指に低頭傾首で儀式的に迎えるが、それがすむと、一転して打ち解けくだけた接し方になる
・他

【4.読書会を終えて】
 この作品に対しての多数意見というのがなく、多種多様なとらえ方、感想がありました。
それが『みちのくの人形たち』という小説を物語っているのだと思います。良い悪い、好き嫌い、名作駄作といった基準に照らし合わせることのできない、アウトローな小説なのかもしれません。
 この小説にあるような闇に葬られた因習が、長い間継承されていたという事実の上に、現代の常識、豊かさがあるのだということを痛感しました。そしてまた、今ある常識も豊かさもいつ壊れても不思議のない儚いものだということを、覚えておきたいと思います。
 たくさんの熱く丁寧な感想をありがとうございました。

2024/12/8